2019年4月21日日曜日

みなさんこんにちは
3Aの松下駿です。
今からOCPで感じたことを記します。
結論から言うと海外に少しでも興味がある学生は来年のOCP研修に迷わず参加するべきです!
 僕がOCPに参加しようと思った理由は、
アジアの発展途上国の現状や環境を見る他、一緒に参加するシンガポールのテマセクの学生たちとの共同生活を通してのコミュニケーションを積極的にとるという目的で行きました。
最初の4日間は向こうの気候に身体を慣らすという目的も込めて主に観光をしていました。
観光でもガイドの方の話や、ホテル周辺の雰囲気などから得るものはたくさんありました。
特にガイドの方のお話はとてもわかりやすく、上水道が整備されていないことや、舗装も交通整備もされていない道路、地方で貧しい生活をしている人たちの10ドルにも満たない月収などカンボジアの現状をありのままに語っていたので今でもよく覚えています。

OCPの活動が始まってからはテマセクの学生たちと、とても仲良く活動することができました。
僕は活動以外でも夜中の2時や3時まで一緒にトランプをしたり雑談をしていたのですが、そういうコミュニケーションのきっかけを作ることでさらに仲良くなれたのが良かったです。
他にも普段のバスでの移動の時や食事中など色々な時に喋ることができ、3日目あたりにはすっかり英語の環境に慣れることができました。

活動をしている中で、道路側に大量のゴミが平然と捨てられていたり、どこをみても変わらない田畑の風景がずっと続いているのをみて、日本との違いにもすごく驚きました。また、最後の2日間にプノンペンに行った時には地方との差にものすごく驚きました。きちんと舗装された道路や大型ショッピングモール、高層ビルなど1日前まで見ていた光景との違いがすごかったです。かっこいい車に乗っている人や高いビルで働く人達とスラムやダンプサイトの近くに住んでいる人達が同じ国の遠くもない村や街に住んでいると言う事実に大変驚き、本当に同じカンボジアなのかと自分の目を疑いました。

最後になりますが、この研修に参加して本当によかったと思いました。日本にいてはどう頑張っても経験できないことだらけの17日間でした。

I'll be back there!









2019年4月20日土曜日

 

湯船にぴんと張ったお湯につかりながら思い返した。毎日桶さん倍の雨水で体を洗っていた日々を。今から考えればカンボジアで過ごした二週間のすべてが初めてで、新鮮で、ほんの数日前のことであるのに、眠っている間に見た夢のようにさえ感じる。

 巨大な木、へんてこな植物、色鮮やかな花、たくさんの生き物にたくさんの昆虫たち...

 学校で、村で、たくさんの子供たちに出会った。顔を合わせると、みんなはじめは異国からやってきた背の高い人間に少し緊張した様子で顔をじっと見つめ返してくるが、こちらからニッと笑ったりムッと変顔をしてみたりすると一気に頬の筋肉が緩み、笑顔を返してくれる。ムムッと変顔を返してくれる子もいた。
 もうひとつ、コミュニケーションをとるのに欠かせなかったのが、ハイタッチである。手と手をパン!と交わすだけで笑顔になって仲良くなれた。ここまで来たら、あとは思いっきり遊ぶだけだ。裸足で走り回り、サッカー、バレーもした。彼らの身体能力にはたびたび驚かされた。
 国や文化、言葉の壁なんて子供たちとの間にはあってないようなものだった。

 そして忘れてはならないのが、たくさんのゴミである。ホームステイ先に到着して活動の初日に、20キロほどの田舎道を歩いたのだが、その時目にしたゴミの量に驚いた。アスファルト舗装のされていない赤土の道の両脇に家庭から出たであろうゴミがわんさかあふれていた。周りに家のない、自然にあふれた大地ですら、たくさんのゴミを目にした。
 これでは美しい景観が台無しであるし、家畜が放し飼いにされているカンボジアで牛や鳥が誤飲し、それを食べた人間に影響が表れることも考えられる。なぜこんなにもゴミだらけなのか、ホームステイ先の青年に尋ねてみた。
 彼曰く、もともとカンボジアの人々の生活から出るゴミといえば、バナナの皮や椰子の実や葉など、自然に還るものばかりで、ゴミは自然に還すもの、として道に捨てることが習慣化されていた。その後プラスチックなど自然に還らないものが人々の生活に加わるも彼らの習慣は変わらず、現在に至っても道はゴミだらけというわけである。
 もう一つの理由として、カンボジアにはゴミ処理施設が無い、ということがあげられる。そのため田舎の道端にたまったゴミも最後はその場で燃やすしかないようだ。おそらくプラスチックの不完全燃焼により、人体に影響を及ぼす有害物質もたくさん発生しているだろう。
 都市部では、道にしっかりゴミ箱が設置してあり、田舎ほどたくさんのゴミを目にすることはなかった。しかしゴミ処理施設はないわけで、集められた大量のゴミは廃棄物集積場—————————通称ダンプサイトへと向かうのである。

 ダンプサイトには缶やペットボトルなどのゴミを拾い集めてそれをお金に換えて生活している人たちがいる。生きるためにゴミを拾っているのである。中には子供でさえも、学校に行けず朝から晩までゴミを拾い続けているという。しかも裸足でだ。ゴミの中にはガラスの破片や注射針なども混ざっているから、はだしで歩くのは非常に危ない。
 ということをカンボジアに行く前に、先輩の話やインターネットで調べて知った。そして明石高専のチームから、ダンプサイトの人たちにサンダルをプレゼントすることに決まる。

 ドネーションの活動で最後に訪れたのがダンプサイトであった。現在、ダンプサイト内に外国からの訪問者は立ち入ることができないということで、活動は、ダンプサイトからほど近い空き地でおこなわれた。そこは想像していた大量のゴミはなく、強烈なにおいもしなかった。しかしやはり、ほかの村の人たちよりも裸足の人が多かった。
 バスを降りた時は大人子ども合わせて、およそ100人弱の人々が集まっていたのだが、バスからドネーションの食べ物や衣類、そしてサンダルを運び出し終わるころには
200人近くの。人たちが集まってきていた。持ってきていたサンダルは300足強であり、
1人につき2足のサンダルを渡すというプランを急遽1足にしてサンダルのドネーションが始まった。前日の晩に厚紙と段ボールで作った足の大きさ計測版で一人一人の阿新大きさを測り、それぞれの足に合ったサイズのサンダルをプレゼントする、という流れである。
 ここでもやはり、笑顔とハイタッチで互いに緊張をほぐすことができた。足の大きさを測り、サンダルをプレゼントするとさらに笑顔があふれた。
 日も暮れ、サンダルも残り少なくなるとそれぞれにちょうどいいサイズのものが無くなり、小さい子供にブカブカの大人用サンダルをプレゼントするしかなかった。しかしそれでもまだよかった。もうサンダルはなくなる、というころになっても子供たちは集まり続けて、最後の一足を手渡した際に周りにいた多くの子供たちは裸足のままであった。
「私はもらえないの?」という表情でこちらを見る少女の顔が忘れられない。
 裸足のままの彼女らから、逃げるようにバスに戻った。悔しかった。しかしその時の自分にできることは何もなかった。それが余計に悔しさを駆り立てた。
 帰りのバスでもう一度ここへ来たいと思った。もう一度来なければならない、と思った。

 巨大な木、へんてこな植物、色鮮やかな花、たくさんの生き物たち、そしてたくさんのゴミ...
 小学校で出会った子供たちはかわいかった。言葉で会話はできないが、体で、心で仲良くなれた。村で出会う人たちはとても貧しい暮らしをしていた。しかし彼らからは強さとやさしさを感じた。ダンプサイトの子供たちは、泥だらけの裸足の足で、それでも強く、大地を踏みしめていた。
 そして出会ったすべてのカンボジアの人々から、“生きる”を感じた。この地で生きているのだ、と感じた。これまで考えたことのないことだった。

 このプロジェクトに参加してよかった。カンボジアに来てよかった。カンボジアを知ることができてよかった。次来る時までに、カンボジアの風景からゴミを無くし、ダンプサイトの人たちがゴミを拾って生活しなくてもよくなるような新しい作戦を立てよう。ゴミ拾いからでもいい。そうすればカンボジアはさらに美しく、さらにたくさんの笑顔であふれる場所になるはずだ。

 今回の経験を土台に、カンボジアの未来につなげる作戦を立て、もう一度カンボジアへ行き、作戦の実行だ。
 そしてもう一度、美しく偉大な自然、人々、生き物たちに会いたい。
———————つまりカンボジアに会いたい。
つまり————————カンボジアが大好きである。







2019年4月8日月曜日

 こんにちは!3cの内海太樹です!
 17日間のカンボジアの滞在及びOCPを全て終え無事日本に帰ってきました。
はじめに、私は、シンガポールと日本の合同チームのムードメーカーになる。と、このプロジェクトが始まる前に決めていました。その目標は出来たかどうか、振り返って行きたいと思います。
 さて、私がこの研修で特に印象に残ったことは大きく分けて3つです。1つ目はドネーションドライブ、2つ目は学校訪問、3つ目はシンガポールの学生との交流です。
1つ目のドネーションドライブでは、貧困に対する意識が変わりました。一言で表すと、私は、貧困を知りませんでした。行った後でそのことに気づきました。私たちが行った村の人々はまるで私たちが救世主かのように一袋の食料と古着に手を合わせて喜んでくれました。普段この方達はどのように生計を立てているのだろう、もし誰もここに来なかったらどうなってしまうのだろう、そんなことを考えられずにはいられず、心の痛みは止まりませんでした。そして、改めて自分たちはたまたま恵まれた環境で生まれ育ってこれたことに有り難いと思いました。世界の貧困に、実際に向き合えてよかったと思っています。


 小学校訪問では科学の授業と学校改修作業を行いました。英語の通じない小学生を相手に授業したことはとてもおもしろい経験をしました。もちろんそれもよかったのですが、学校改修作業を主に語りたいと思います。学校改修作業は自分たちでお金を出して、食べるところのタイルを貼ったり、自力でセメントを混ぜて教室のタイル張りを行ったりしました。学校ではスイッチひとつで機械がやってくれたセメント練り作業も、手作業でやると重労働で、その夜はとてもぐっすり眠れました。自分たちが過酷な思いをして食堂や教室が完成した姿を見た時、ボランティアのやりがいを感じました。将来、私は海外でこのような活動の指導者になりたいと思っています。その片鱗を現場で味わえたこと、これは私の夢に1歩近づいたような気がしました。





 3つ目のシンガポールの学生との交流はこの研修を語るにあたって1番大切なことだと思っています。彼らと会う前日から、絶対シャイにならないでおこう、最初からどんどん話しかけていこう、と決意して、話題も準備していました。しかし、うまくいかずにどう話していいのか途中、分からなくなりました。しかし、シンガポールの学生も日本語を教えて!と言ってきたり、歌を歌ったりして距離を縮めてくれました。そのことを知り、とても嬉しかったです。バディの子と16km歩いたこと、夜遅くまでドネーションドライブの袋詰めをしたこと、バスの中で大はしゃぎしたこと、カンボジアに来てよかったと思えたのは彼らがいたからです。日本の学生だけでは今のこのなったことのない不思議な楽しい気持ちにはなっていなかったと思います。またいつか彼らと会えることを楽しみにしています。
後期の間からミーティングをしてきて、何度も行き詰まりました。カンボジアに着いてからもハプニングや心変わりがあり、いくつか反省点もあります。でも、最後にみんなで笑って終われたことに幸せを感じています。来年のこの活動も私たちの意志を繋げて欲しいです。







2019年4月6日土曜日

OCP2019

   4Aの谷口七海です。
   念願叶ってカンボジアへ行くことができました。そして、この17日間は、私の人生観を大きく変えるものとなりました。
カンボジアで目の当たりにしたのは、今まで私にとって本や映画の世界だったもの。地雷の警告看板、ダンプサイトで生活をする人々、至る所に見られるポルポト大量虐殺の痕跡。カンボジアという国の歴史というにはまだ浅すぎる悲惨な現状を学びました。

   今回私達は、沢山の場所でドネーションドライブを行いました。自分達でパッキングを行い、直接配給します。初めて村を訪れた時は、衝撃的でした。ヤシの葉で作られた家に住み、ほとんどの方が別のドネーションで貰ったであろう季節外れの長袖やニットを着ていました。この活動の前にいた、シェムリアップという都市でも、十分発展途上国ならではの町並みを感じてはいましたが、段違いの環境に愕然としました。正直、袋一つ分の食料は1家族で食べればすぐに底をついてしまうと思います。しかし、そんなほんの少しの援助がとても重要なのだと身を持って認識しました。今回、私達は寄付する側だったかもしれませんが、その何倍もずっと多くの物を受け取りました。

   そして、ほぼ毎日通った小学校では、教室や食堂のタイル張りなどをするコンストラクションと、子ども達に英語やスポーツを教える授業のお手伝い、日本から準備した化学の授業を行いました。カンボジアの子ども達は、みんなとてもフレンドリーで、名前を呼びながら走って来てくれます。笑顔がすごく素敵で可愛いです。子ども達を落ち着かせたり指示を出すのはとても難しかったですが、毎日会うのがとても楽しみで、癒しの時間でした。コンストラクションでは、セメントづくりやタイルの埋め込み作業など、日本ではなかなか出来ない事を経験しました。炎天下の中の作業は本当に重労働で、少し動いただけで汗だくになります。しかし、作業している最中は俄然やる気が湧いていました。なぜなら、その小学校には去年までに寄付された設備がいくつかあったのですが、どこも綺麗に使われていて、笑顔の子ども達でいっぱいでした。だから、今私達が作っている教室も、あんな風に使ってもらえるのかなと想像すると嬉しくなったからです。

   ダンプサイトでは明石高専チームが1から考えて計画した「サンダル600足」を寄付することが出来ました。ダンプサイトとは、広大な土地にカンボジア中のゴミが集まった場所です。しかし、そこは誰かの家でもあります。ゴミを拾いながら生活をしている子供や家族が大勢いました。頭では理解していたつもりでしたが、行ってみると匂いや沢山のハエに言葉を失いました。そして、何万トンものゴミが放つ異臭は容赦なく彼等にも染み付きます。私は胸が痛くなりました。そんな時、一人の女の子が私に「Thank you. What's your name?」と英語で話し掛けてくれました。どんな環境下でも頑張っている姿に、自分が出来ることを改めて考えさせられました。

   最後に、シンガポールの学生との思い出です。初めは、シンガポール人の速くて若者言葉だらけの英語に苦戦しましたが、1日聞いているとなんとなく理解できるようになり、自分の口から自然と出た時にはびっくりしました。約2週間、毎日一緒にご飯を食べて、お風呂に入り、夜遅くまで遊んだり話しをする。そして時には、カンボジアの抱える問題について、真剣に話しあったりもしました。初日は、どことなく感じた気まずい雰囲気も、最終日は空港で号泣する程の存在になっていました。どちらかが留学生の立場なら、少し違った関係になっていたと思います。しかし、今回私達は一つのチームでした。みんなで支え合い、協力して、全力で笑い全力で泣きました。一生忘れることはありません。こんな素晴らしい時間を経験できるのは、このOCPだからこそです。参加することが出来、本当に良かったです。

   この17日間で感じた思いや経験を、これからの人生に生かしていきたいと思います。そして、この研修でお世話になったすべての方々に、心から感謝申し上げます。

後藤先生、恵美さん、日本チームの皆んな、本当にありがとう。








2019年4月5日金曜日

終わってしまった。。。


4Eの岡元です。
 この約12日間のSingaporeのTemasek大学の学生と合同でカンボジアでのボランティア活動を終えて最初に思ったのはこの活動に参加できてよかったなと思いました。
日本とは全く別の世界での生活で毎日毎日が貴重な体験でした。
この活動の打ち合わせが本格的に始まったのは去年の10月ごろからとしっかりとこのプロジェクトに対して準備してきたつもりでしたがいざ出発してみるとなるとやっぱり不安は大きかったのを思い出します。ボランティア活動がメインですが一緒に活動するのはSingaporeの学生と言葉の壁はありました。でも、Singaporeの学生のみんなはとても優しくしてくれ言葉があまりわからなくても楽しむことができましたが、やっぱりもっと英語を勉強していろんなことを話したかった。
 この活動では7日間小学校を訪れ、英語、体育の授業とDonation活動として、教室の一室のタイル貼りと壁の色塗りを並行しながら活動もしていました。僕自身子供に対して授業をするなんて初めての経験でした。でも活動中もずっと思っていましたが子供はとても可愛いですね。僕が笑顔で接したら子供も満面の笑みで絡んできます。教えるのは一苦労ですが、逆にこっちが元気付けられている感じでした。あと、名前もすぐに覚えてくれてたった7日間だけだったけれどとても楽しい時間を過ごせました。学校最終日なんかはほとんどの人が別れを惜しんで泣いてしまっていました。それだけ充実した時間だったってことです。
 また、この活動では学校での授業と並行に村を訪れて食料を寄付する活動もしました。活動後半の夜から8トン以上の食料を10kgずつに分けるpacking作業もし、それをHIV Village 、スラム、ダンプサイトを含めて計9箇所に配りました。どの村に行っても村人の人たちは笑顔ですんなりと受け入れてくれて気持ちよく活動できました。
HIV Village の周りには何もなく隔離されている状態で今ではHIVは体液感染しかしないとしられているが、昔は知られていなかったのでそのまま隔離されている状態だそうです。なぜなんだろうと誰もが思うはずです。でも、HIV VIllage の子供たちは笑顔でした。また、スラムで歌ってくれた女の子たちの壮絶な過去から未来に向かって変わろうとしている姿、ダンプサイトで暮らしている人々、これらの光景を見て自分は何事にもしっかりと感謝して生きていかねばならないと感じました。
 結論として、この12日間見るもの、食べるもの、触るもの、感じるものは人それぞれですが僕自身貴重で2度と味わえないような経験をすることができました。家畜の豚や水牛に触り、日本では食べないような虫も食べてみるわ、ヘビやカエル、サソリまで食べた。でも何より一番はSingaporeの学生と活動できたことが一番かけがえのないものでした。彼らとともに過ごした日々を忘れたくはありません。それと日本チームのみんな、特に恵美さんはリーダーとして僕たちいい方向に引っ張ってくれました。このメンバーでなければこんな充実した日々を過ごせなかったでしょう。最後に後藤先生、このOCPに誘っていただきありがとうございました。もし誘われていなかったらこんな経験も味わえなく、このメンバーにも出会えなかったでしょう。OCPロスは非常に大きいですが、あしたからも楽しく笑顔で過ごせますように。







記録02

5Aの前田恵美です。
私にとって2回目であるOCPが終わりました。
この活動で何を思ったか、何を感じたかをここに残します。
自分の想いを言葉にまとめるのは得意ではないけれど、よかったら読んでください。

カンボジア での17日間の日々はどれも充実していて、1日1日がとっても濃かったです。
どの日もたくさんの刺激を受け、正直言って毎日がヘトヘトでした。
今回のプロジェクトで考えさせられたのは私たちの目的は何なのか、私たちには何ができるのか、なんてことです。ボランティアとは何なのか考えながら書き進めたいと思います。

(WATKANDAL小学校)
去年行った時とはガラリと雰囲気が変わっていました。一番大きいのは、やはり校舎が変わったことでしょう。校門入って右側に新しくて大きな校舎ができていて、子供達はそこから顔を覗かせています。自分たちが改修した校舎が二番目になっていることに少し寂しさも感じましたが、学校がどんどん成長していることに嬉しく思いました。何と、校庭には水道までもできていたんです。驚きました。
窪先生から聞いた話をします。カンボジア にはボランティアの方が多く訪れますが、そういう活動が現地の村の人のプライドを刺激し、外国から来た赤の他人がこんなに頑張ってるんだから自分たちでもどうにかしないと、と思うらしいんです。それで最近では村の人たちが協力して学校を建てた例もあるらしいです。その話を聞いて私たちの活動はきっと意味があって、どこかにつながると思い感激しました。

今回日本から用意していった授業はスライム作りとブーメラン作り。子どもたちはとってもキラキラした目で、喜んでくれていました。正直言うと、準備は足りているのかなんて心配していたんですが、余計だったみたいです。子どもたちに楽しんでもらおうと言う思いやりのこもった、唯一無二の素敵な授業でした。みんなお疲れ様!



(Donation Drive ---Dump Site)
たくさんの村に訪れ、カンボジア の現状に触れることができる大きな活動の一つです。
中には電柱が全然ない村もあります。私たちの寄付は何日かの助けにしかならないけれど、そんな助けが必要な人がたくさんいます。
ただ、私は日本に生まれて、そこにいる人たちはその村に生まれただけなのに、生活が全く違うことに考えさせられます。
去年私が一番衝撃だったDump Site。今思い出しても寒気がするくらいのハエとカラスの量と強烈な匂い。そこに人が住んでいるということを想像するのも嫌になりました。
今回そんなDump Siteに届けようと私たちが考えたのがサンダル。靴を履いていない子供たちがたくさんいるので、そんな子達にサンダルを届けてあげたい。危ないゴミの山での活動を少しでも安全なものにしたい。そんな気持ちで決めました。
私はどちらかというと楽観的に考えていたので、ただ購入して届けてあげるだけだと思っていました。でもそんな簡単にはいきませんでした。私の準備と計画不足でたくさんの人に迷惑をかけてしまいました。
たくさんの人に助けを借りて、この寄付は成功することができました。
効率化のために夜な夜な作ったフィッティングボードも大活躍。テマセク学生もたくさん走ってくれました。本当に本当にありがとう。
正直いうと、ダンプサイトに寄付しているときは忙しすぎて、強い思いを感じる余裕はありませんでした。でも、サンダルを履いていない子供たちが、これから、サンダルを履いて暮らしていく姿を想像すると心が暖かくなりました。きっとこの寄付は間違っていないと言い切ることができます。もしよければ、来年も続けて欲しいと願っています。



(この活動について)
このブログでは大きく2つの事しか取り上げられていないけれど、OCPで経験した全てのことが私にとっての刺激であり、素敵な思い出です。
時に、チームのメンバーと夜遅くまで話し合い、自分の意見を言い合うような時間もとっても意味のある時間だったと思います。自分自身の成長にもつながりました。

さて、最初にも言いましたが、ボランティアとは何なのかを考えました。
答えははっきりとはわからないけれど、私には2回のOCPを通してぼんやりとわかった願いがあります。
ボランティアというものを持続可能なものにしたい。
私は去年カンボジア の現状を目の当たりにして、助けなければいけない、助けがないといけない事実を知りました。ボランティアって、現地の人にとって生活の支えまでとはいかないけど少しの助けであり、その人の大きな経験でもあります。最初は興味本位であったり、好奇心であったりしてもいいかもしれない。しかし、興味本位で訪れて一つ、物を寄付して帰る、全然自分の生活と違ったよね、かわいそうだよね、そんな一回きりの同情では終わらせてはいけないと思いました。結果やっていることが自己満足でもいい。経験してみて、自分たちの相手はもっともっと大きな事実であったことを知ります。そこからの活動が私たちには必要なのではと思います。
だからこそ続けることが大事だと1回目も思ったし、2回目も確信しました。
自分の言葉ではうまくまとまらなかったけど、ただ一つ、これからもOCPを続けてください。



一緒に活動した日本チームのみんな、本当にありがとう。楽しかった!!

2019年4月4日木曜日

OCP〜感謝〜

みなさん初めまして。
いよいよ明日から3年生になるC科の神足です。
まず最初に、17歳という年齢でお金だけでは買えないような経験をすることができ、OCPに参加して本当によかったと実感しています。このOCPは長い目で見て、僕の人生を大きく変えるものだっただろうと現時点で思えるぐらい有意義な時間を過ごせました。

僕達は前乗り・延泊を含め17日間カンボジアで過ごしました。僕にとっては今回が初めて行く海外で、行く前は乗り継ぎで使うシンガポールのチャンギ空港でさえも想像がつきませんでした、、、
最初4日間、多くの遺跡や観光地を見れました。日本に似たものがどこにもなく、現地でしか見れない幻想的なものばかりでした。実際に見てみると、豊かな自然と目に見えないパワーを身体で感じられました。
前乗りの4日間をシェムリアップで過ごしたことでOCPをよりよくできたことがあります。それは、体をカンボジアでの生活に少し慣らすことができたことです。食文化、気温、街の雰囲気など何もかもが違う環境で急にOCP活動がもし開始していたら、体調を崩したり万全でないコンディションで過ごすことになっていたかもしれません。その点、前乗りによって現地の食生活にも事前に触れることができ、気温35度前後の暑さにも少しでも感覚を慣らすことができました。体調を崩すことなく前半のOCPもいいスタートを切れたので、前乗りの4日間は僕にとって重要な役割を果たしたと思います。

テマセクの学生と合流しスタートしたOCP活動で、初めは不安でいっぱいでした。海外の人と生活を共にする経験は初めてで、仲良くなれるのか心配でした。でも、できるだけ話をしようと考える以上にテマセクの学生はいっぱい話しかけてくれてすぐ仲良くなれました。シンガポールの方達と共同生活を送ったことは新鮮で、国境を越えた友情も築けました。

カンボジアの小学校で過ごした日々はあっという間でした。僕達はスライムを用いて化学の授業をしました。自分たちが日本でミーティングを重ね準備してきた授業で子供たちを笑顔にでき、教えることの楽しさと目標を達成した時の嬉しい気持ちを改めて感じることができました。コンストラクションでは、協力して分担作業を続けることで教室とダイニングを綺麗な床に仕上げれました。暑い中での作業が続いたけど、だれることなくみんな笑顔で完成させれてよかったです。

僕はたくさんの虫歯をもった子供たちに会いました。子供たちは最高の笑顔で元気に走り回ったり、一緒に遊んだりしてくれました。
また、1人で自分の自転車を直す小さな6歳くらいの女の子を見ました。力を振り絞って、外れてしまったチェーンを元に戻してまた力強く自転車をこいでどこか遠くまで行ってしまいました。
みなさんはどうでしたか?歯医者に行けず、痛くて仕方ない虫歯があっても無邪気に遊んでいましたか?幼い頃に自転車の外れてしまったチェーンを1人で直してまた走り出すことができていましたか?多分僕達にはできなかったでしょう。
僕はそれらの光景を見て、絶対に忘れてはいけない日々の感謝と、弱音を吐かずに何事にも挑戦していくための力強さを改めて感じました。満足な食事、安定したライフライン、整った学習環境、安全な家や街、家族や友達の支え、何気ない日常にありふれた当たり前のような幸せに感謝を忘れないよう、これからの毎日を生きていこうと決心しました。また、OCPから帰ってきた時点で新しい自分がスタートし、今からでも僕にできることはどれだけ小さなことでもたくさんあると思います。気付いたことや目標に11つ向き合って、後悔しないよう全力で取り組めるよう、コツコツと努力して頑張ります。

まだまだ丸1日ぶっ通しで話し続けられるぐらい、内容の濃い最高の活動でした。世界のいい所だけでなく悪い所も見ることができ、人生の勉強になりました。
まだまだ話が聞きたい方がいればいつでも聞きに来てください。知名度はまだ少し低くてもOCPはとても素晴らしいプログラムです。だからこそ多くの人に広めたいです。

最後に、背中を押し応援してくれた家族、現地で受け入れてくださった人々、僕達をサポートしてくださった先生、支えあって共にすごしてくれた友達、最後まで読んでいただいた方達に感謝します。

最後まで読んでいただきありがとうございました。